Sunday, December 11, 2011

データはアセットという考え方


1カ月ほど前、東京大学の喜連川優教授にビッグデータをテーマにインタビューする機会をいただきました。ご存知の方も多いと思いますが、喜連川先生は「情報爆発」などの国プロをいくつも指揮してこられた方です。先日のインタビューはまだパブリックになってないのであまり詳細については書けないのですが、先生からはほんとうに、心に残る言葉をたくさんいただきました。

いま、バズワードとなったビッグデータをめぐってたくさんの解釈がされています。データの大きさとか、データの内容とか、いろんな視点からいろんな指摘がされています。ビッグデータとは何か、という質問を訳知り顔の人にきけば、いろんな答えが返ってくるでしょう。個人的には「ある程度の容量(テラバイトクラス)をもった、非構造化データのかたまり」と認識していますが、これに反発する人も多いかもしれません。

でも、ビッグデータがどうのこうの言う前に、日本という国はそもそもスモールデータさえまともに活用してきた経験値が低いということに、どれほどの人が気づいているのでしょうか。

日本はデータがアセット(資産)であるという考え方がきわめて希薄な国です。だから日本のDWH市場はものすごく小さい。データを価値に転換するという感覚が非常に薄いのです。

喜連川先生のおっしゃった言葉の中でいちばん印象に残ったものです。Amazon.comのように「データこそすべて」という考え方を、日本の経営者はなぜかひどくきらいます。データにどうあらわれようと、最後は長年やってきた勘や経験がモノを言うと。そしてその考え方で成功体験を積み重ねてきた方は、生涯、KKD(勘と経験と度胸)こそがすべてという考えになりがちです。

データというものは時として非常に"無情&非情"です。見たくない現実、忘れたい過去、想像したくない未来を平気で数値として見せつけます。そして世の中にはこれを受け入れることを頑として拒否するエライ方々が大勢いらっしゃいます。データを否定するマインドしかもっていないところに、いくらデータから得られる価値を説いたところで、得られるものなどあろうはずがありません。たぶん彼らには「自分はデータを超えることができる」という、KKDに基づいた確たる自信があるのでしょう。

今年10月、米サンディエゴで開催されたTeradataのイベントに参加させていただく機会がありました。ここで見聞きしたさまざまな事例は「KKDこそがすべて」なんて言っている日本のロートルの偉そうな金科玉条など、宇宙の果てに吹き飛ばすほどの圧倒的な"データのパワー"で満ちあふれていました。1日に50ペタバイトもの情報を処理するeBayをはじめ、金融、小売、ヘルスケア、通信…どの業界も膨大なデータからいかに経営をエンパワーする情報を得るのか、本当に真剣な姿勢で臨んでいました。「データこそがアセットである」- ベンダから、ユーザ企業から、このフレーズを1週間の滞在で何度耳にしたことでしょうか。正直、データを武器にする方法をアグレッシブに模索する世界各国の企業のパワーに、日本はこれからついていけるのか、余計な心配をしてしまったほどです。

スモールでもビッグでも、とにかくデータを収集し、分析し、そこからインサイトを得る - この考え方を身につけて損をする経営者はいないはずです。データを超える、などというのはデータをきちんと分析できるスタイルができてから言うことであって、データを見ずして語る人の言葉ではありません。

話は変わりますが、先日、「マツコ&有吉の怒り新党」というTV番組で、プロ卓球選手としてブンデスリーガで活躍された松下浩二選手の映像が紹介されていました。そこで紹介された3つの試合のうち、ひとつは全日本選手権の決勝で相手選手が松下選手の過去の試合からデータを徹底的に分析し、松下選手を苦境に追い込むというゲームでした。

徹底的に分析されて、どこにも逃げ場がないと思われた松下選手は、突然豹変します。カットマンとして、とにかく粘る守備で見せていたスタイルを貫いていたはずなのに、このままでは勝てないと思った松下選手は試合途中から"誰も見たことがない"という超攻撃型プレーヤーに転じたのです。データにない戦術を見せられ、攻撃された相手選手は困惑し、結局、試合は松下選手が制しました。ちなみにこの番組はすごく面白いのですが(マツコさんの選んだ3大伊藤みどりとかサイコーです!)、この回は本当にオススメです。卓球やりたくなりますw

コレを見て「なんだ、やっぱりデータ(分析)なんかたいしたことないじゃん」と見る人もいるかもしれません。でもそれは違う。相手が松下選手のデータを収集していても最終的な分析、つまり「松下選手はいざとなれば攻撃型に転じられる力をもっている」という分析結果を得られなかったことが敗因につながったのではないでしょうか。逆に「相手に分析されている」と知った松下選手はその瞬間に"攻撃に転ずる"というインサイト(洞察)をみずからの内部から引き出し、行動に移した。もちろん蓄積した実力があったからこそできたことで、並の選手ではまず無理でしょう。相手の分析のさらに上を行く、これがデータを超えるということの本当の意味のような気がします。

まずはデータを受け入れる度量をもつこと。そしてとにかくデータをひたすら収集し、分析を行い、インサイトを導き出し、それを信じて行動につなげる。良いデータも悪いデータも、何も意味がないデータはないことを強く意識できる経営者が国内にも増えてほしいなーと最近とくに思います。